眠れない街・原宿の話

歌舞伎町という街が汚らしく、どこか人間味が溢れる街である一方で、僕は原宿という街が嫌いだ。正確にはここ2年くらいで大嫌いになった。

都内に出てきてもう5年以上になるが僕が田舎の出身であるためか、この街を訪れると未だに背筋がピンと伸び、自分の背丈以上の振舞いをしなければいけない気持ちになる。

 

原宿から表参道あたりの近辺は、いわば自身を表現する独壇場のようなものだ。誰もが背筋を伸ばし、先日購入した一張羅を羽織り、まるで自分が物語の主人公やファッションショーのモデルにでもなったかのように造り上げた表情で足を進める。

上京してから2年ほどはこの町に足繁く通っていたように思う。注目して欲しい、自分を見つけて欲しい、全て肥大化した承認欲求からの行動だった。この街が好きなのではなく、この街にいる自分しか見えていなかったのだ。

 

このブログは前述の通り、他人の色眼鏡を介さないために書き始めたものであるし、その違和感を感じ始めた頃(確か大学3年後半辺り)からこの街に出入りすることをしなくなった。

歌舞伎町という場所が不完全さをウリにする場所であるとするならば、この街は完成された(もしくはそれを目指している)場所である。ここでは大多数の人が普段の120%の自分を表現しようとする。

 

この街は綺麗な街だ。路上は清潔感が保たれ、路面店から綺麗な女性がブランド物のバッグを肩掛けし、偶然入った店ではお洒落な雑貨がきちんと順序よく並べられている。

けれどその完全さを目指す部分に疲弊し、異常な違和感を覚える。この街は眠れない街だ。