肩書き大好き人間ワイ、死する。

 

中学の生徒会副会長、高校の文化祭クラス委員、早稲田大学在籍、サークルの幹部、そして大企業への就職。

ずいぶん昔から、僕はいわゆる肩書き大好きマンだった。自分自身に対しての自信など皆無で、肩書きを手に入れることでしか他者の承認を得られないと思いこんでいた。

 

それを手に入れるための縛りプレイは幼少の頃から始まった。あまり共に時間を過ごすことのなかった両親にただただ褒めて貰いたかったから。ピアノ、空手、習字、そろばん、水泳、野球、学習塾、”お前はすごい”と誉め言葉が連なる賞状を量産した。例え褒められなかったとしても、「努力が足りなかった、もっと、もっと。」と激しく自省を繰り返し、最終的には成功という形でメッキのように剝がれやすい自己肯定感を培ってきた。

 

けれど、そういう人間はいつか、もう限界だという強烈な心の叫びと共に脆く崩れ落ちる。僕の場合はそれが1年目の就職活動の時期だった。

企業選びの軸や心の底から行きたい会社なんてものは見つからない。僕の就職活動の軸は「すごい、かっこいい!」と周囲からの賞賛を得られる企業というだけだった。

 

そんな本音を心の奥底に隠して、それっぽい志望動機を並べれば意外にも最終面接にはたどり着く。就職活動なんてちょろい、嘘で塗り固めた自分でも突破できる…そんな安易な考えで最終面接の会場にいつも通りに赴いた。

 

 

「君、うちの会社じゃなくても良いでしょ。大手ならどこでもいいんじゃない。」

2人組の役員と人事部長らしき人物から強烈な言葉が浴びせられた。彼らは自分の醜い奥底を、透かすように見抜いてくる。

「いや…他社と比較して貴社は…」

形式上、用意してきた他社との比較を並べようとするも、口は動かない。こんなやり方が間違いだと本当は分かっていた。もう嫌だった。

「…そうです。」

と力なく答えると、面接官はそれ見たことか、見透かしてやったぞと言わんばかりの誇らしげな顔で、その後30分僕を理詰めし続けた。僕はこの日を境に一旦就職活動を辞めることを決意した。

 

 

2年目の就職活動をする前に、僕は長期のインターンとして社会人向けのメディアにジョインすることを決めた。まだ浅く薄っぺらい、漠然とした自己分析で、自分が人のキャリアに寄り添う仕事をしたいという結論に行きついたためだ。

学生ながら、それなりの裁量が与えられる業務は、自分がこれまで培ってきたちんけなプライドをいい意味で打ち砕いてくれた。学生団体での編集者の経験も、学歴もなんの役にも立たない、純粋に自分の実力のみで勝負をする世界。上司に詰められ、優秀な同期に引け目を感じ、自分が本当は何もできない人間だったと思い知らされた。

 

何もない自分、1浪1留のチンカス。マイナスからのスタートで2年目の就職活動が始まった。エントリーシートの通過率は向上したものの、昨年と同様最終選考までは進むが、落ちまくる。やってきたこと、やりたいことは明確に言えたが、可愛げがない、情熱が足りないというフィードバックを貰い、落とされる。最終で落とされた翌日は早朝に嘔吐をして一日が始まる、そんな毎日の繰り返し。

けれど、もうそれでいいと思った。肩肘を張らず、笑いたいときに面接で笑い、変に言葉も選ばず、背伸びしない自分で、何もできない自分で。

 

 

そして先日、僕は就職活動という戦争から帰還し、2年間の戦いでボロボロになった軍服をようやく脱ぐことができた。ここ1年のストレスで10キロも太った。

真綿で首を絞めるように自分を縛り付けてきた肩書きマンという首輪も、引きずりすぎてすり減っていた。

 

物理的に重くなった身体とは対照的に、今まで感じたことのない軽やかな気持ちで、僕はこれから自分を徐々に許していければと今思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

眠れない街・原宿の話

歌舞伎町という街が汚らしく、どこか人間味が溢れる街である一方で、僕は原宿という街が嫌いだ。正確にはここ2年くらいで大嫌いになった。

都内に出てきてもう5年以上になるが僕が田舎の出身であるためか、この街を訪れると未だに背筋がピンと伸び、自分の背丈以上の振舞いをしなければいけない気持ちになる。

 

原宿から表参道あたりの近辺は、いわば自身を表現する独壇場のようなものだ。誰もが背筋を伸ばし、先日購入した一張羅を羽織り、まるで自分が物語の主人公やファッションショーのモデルにでもなったかのように造り上げた表情で足を進める。

上京してから2年ほどはこの町に足繁く通っていたように思う。注目して欲しい、自分を見つけて欲しい、全て肥大化した承認欲求からの行動だった。この街が好きなのではなく、この街にいる自分しか見えていなかったのだ。

 

このブログは前述の通り、他人の色眼鏡を介さないために書き始めたものであるし、その違和感を感じ始めた頃(確か大学3年後半辺り)からこの街に出入りすることをしなくなった。

歌舞伎町という場所が不完全さをウリにする場所であるとするならば、この街は完成された(もしくはそれを目指している)場所である。ここでは大多数の人が普段の120%の自分を表現しようとする。

 

この街は綺麗な街だ。路上は清潔感が保たれ、路面店から綺麗な女性がブランド物のバッグを肩掛けし、偶然入った店ではお洒落な雑貨がきちんと順序よく並べられている。

けれどその完全さを目指す部分に疲弊し、異常な違和感を覚える。この街は眠れない街だ。

眠らない街・歌舞伎町のお話

突然だが、僕は歌舞伎町が好きだ。むっちゃ好きだ。

といっても一般的に歌舞伎町と聞いて思い浮かべるような、煌びやかなネオン街で浴びるように酒を飲むのが好きな訳ではない。

こじんまりしたゴールデン街のちょっぴり汚い店で、店員の女性や偶然居合わせたオヤジたちと談笑しながらちびちび飲むのが好きだ。

 

目がチカチカするほどの街灯や、路上にたむろし女性を水商売へと引きずり込む黒服にめまいを覚える一方で、以外にもこの街は優しさに溢れている町である。

とくに前述のゴールデン街は肩肘を張らずに寛ぐことのできる、とても気楽な場所だ。

 

店内に入ると30前半ほどの妖艶な雰囲気の女性店員が笑顔で迎え入れ、おやじたちは手を叩いて学生を歓迎してくれる。

女性がこれまた丁寧に注文をとり、一杯目のビールを待っていると、「ボウズ、初めてか?」と隣に座っていたおやじが気さくに話しかけてくれる。

軽いやり取りをしながらしばらくすると、並々注がれたビールがコースターと共に卓に置かれ、乾杯の合図と共に彼らと杯を交わす。

 

楽しい話や彼らの強烈な下ネタ(本人たちは日常会話程度に感じているだろうが)に抱腹絶倒しつつ、つまらない話は眉ピクひとつせず真顔で、ただただ温和な時間だけが流れていく。

時計に目をやると気付けば深夜の2時。本心から楽しかったという言葉を発し、会計を終え離席すると、またこいよ!と声を掛けられ、笑顔で店を出る。

 

 

この街はやっぱり汚い街だ。所々に吐しゃ物が放置され、セクキャバからは禿げたおっさんが現れ、偶然入った店もなんだかカビ臭い。

けれど、その汚さがどこか心地よい。この街は優しい街なのだ。

 

 

コップの水を減らすためにブログを書こうという気になった話

とある人のブログを読んで感銘を受け、自分もブログを開設してみようと思い、今に至る。自分自身が他人の色眼鏡を介せずに選びとった言葉で、どこかのだれかに少しでも影響を与えられたら幸いだ。

 

他人の色眼鏡を介せずに、日常生活で真に自分の意思を相手に伝えることは本当に怖いことだと思う。

何気なく放った言葉が人を傷つけるのでは、杭を突き刺すようにその人の脳裏から離れなくなるのでは。内心は震えながら、冗談まじりでおちゃらけた自分を演じることによって、婉曲した表現で人に思いを伝える大学生活に慣れてしまっていた。

 

ただ、そんな生活には必ず限界が来る。徐々にコップに水が溜まっていき、それがあふれ出したのが大学3年の頃、もう自分を演じることは辞めようと決意した。真に自分の脳裏に浮かんだ言葉たちを、そのまま吐き出せたらどんなに楽だろうかと。

 

その自戒から1年半、徐々に、ほんとうに徐々にではあるが自分の脳裏に浮かんだAという言葉をA’くらいの変更のみで人に伝えられるようになった。幸い、そっちのお前のほうが好きだと言ってくれる人もいた。

 

このブログは僕のAという思いを、僕がAのまま伝えるようにするためのものだ。

日常面で感じとったことをそのまま文章化するので、不快に思う人もいるかもしれないが、そうであったとしても無の感情でブラウザをそっ閉じしてほしい。

それではよろしくお願い致します。